緩やかなる右肩下がりおじさんのお金の話

40代の派遣サラリーマン、社内昇進はジリ貧です。

おじさん歩

お疲れ様でございます。
40代、散歩が日課のおじさんです。

すいません、今日は全くお金の話ではございません。
私の日課の散歩についてです。
日々の日課に散歩を取りいれています。
好きでやっている訳ではないので趣味ではございません。

2020年8月あたりから取り組んでいます。
きっかけはコロナウィルスによる在宅勤務でした。
通勤がなくなったことによって、著しく身体を動かすことがなくなりました。
厳密には歩くという行為がなくなったに等しいという状況です。
通勤をしていた時は、6000歩程度の徒歩がありました。(GoogleFitの実績より)
それが1000歩もいっていないことに気づいたときは、このままではまずいという焦りと恐怖を感じました。
動かなくなる、食事はあまり変化しない太るという方程式は揺るぐことのない絶対的なものです。
そんな感情も相まって、よしやろうと決断するのは難しくありませんでした。
いざ、歩いてみるとキツイのなんのってしんどさが先行してました。
動かなくなってから歩くという動作を意識的に行うことは、こんなにも辛いものかと思いましたし、
どんだけ大量落ちてんだかということを痛感しました。
ホントに人間てのは楽を覚えることの速度だけは凄まじく早いということも学びました。
それでも地道になんとか毎日歩きました。
雨が降った日に階段から足を滑らせて落下した日も歩きました、腕を強くコンクリートに打ち付けて超絶痛かったです。
それでもやらなきゃという意識が強く働きました。

少しずつ大量が戻ってきて歩くという行為が自然にできるようになってきたのは約1ヵ月半程度たった時でした。
今まではこの特定のコースというルーティンで行っていたのですが、急に歩数的なものを意識したくなりました。
8000歩/日なんてキーワードを目にすることが多かったので深く思考することなく目標にしました。
だいたい、1時間半程度かかるかなといった感じです。

2021年は3,596,828歩を歩くことができました。
1日10,000歩の3,650,000歩まであとわずかだったので少し悔しさはありました。
あまり数字に執着しすぎると運動不足を解消し体重増を少しでも遅らせるといった本来の目的から外れていってしまい。
やれなかったことにストレスを感じてもういいやとなってしまう可能性もあったため、あくまで数字は継続した結果の積み上げでしかないという風にとらえることにしました。

歩くという行為に1日の24時間のうち1時間をささげている訳ですが、悲しいかな思ったほど体重は減っていません。
むしろ、微増してしまっている事実に気が付いてしまって時は挫折一歩手前の感情を抱きました。
しかし、冷静に考えればいくら毎日歩いても自分自身は毎日老いていっている訳で新陳代謝や脚以外の筋力はしぼんでいく傾向があるため、
やらなかったらとんでもないことになっていただろうと思うと微増で済んでよかったじゃないかという思いがこみ上げました。
加齢により肉体の変化って自分が思っている以上の加速で衰えていっているんだなということを痛感した次第です。
歩く以外のことにそこまで気を使っていなかったので、もしかしたら歩くという行為によって空腹を感じて食べ過ぎていたという、
至って単純な原因が隠れているのかもしれませんが。。。
運動と食事のバランスって難しいですね。
歳を重ねて気づいたことは体重は増えやすいけど落ちにくい、そして筋力つきづらいということですね。
若い時って少し体重増加があっても、ちょいと動けばすぐに体重は元通りですよね。
寝れば疲れもスッキリで体力回復し頭もシャキッとして、いつでもリスタート可能でしたね。
なんで、年齢を重ねるとそうはいかなくなるのでしょうか、不思議でしょうがない。
ふと思いかえすと徹夜で遊び続けられる元気があったような気もしますね。
タバコを吸っても酒を飲んでも少しやすめば元通り、そんな時代は終わってしまったということを自覚する時がきたということか。
若いって素晴らしい。

私はこれからも毎日歩き続けようと思っています、衰えは足腰からくるもんだとい何の根拠もない自分なりのポリシーをもっていること。
筋トレや走るというキツイ行為を好んでできないですし、継続できるようなメンタルもっていないので他になにができるだろうという消去法から導きだした結果が歩くだったことも継続をしようと思う源流になっています。
(運動神経とかも関係ないし、競技性も低くマイペースにできるっていうのも継続しやすい要素だと感じています。)
トリマっていう歩くとポイントもらえるアプリとの親和性もすごく高いのでありがたいです。

老いていくことは避けようがない現実ですが、少しでも遅らせるすべがない訳ではないと思っています。
ゆるやかな老化することを望む、このブログのゆるやかなる右肩下がりの元になっています。

今日はここまで。
それでは皆様、お先に失礼いたします。